アニメなメッセージ
ある挫折の物語

 卒業生が、生き馬の目を抜くような厳しい業界の中でアニメーターを続け、動画マンから原画マンへ、原画マンから作画監督へとステップアップしていってくれることは当然うれしいことだ。しかし、ピラミッド構造のシステムの中で、皆が皆、上に昇っていくことは現実的には不可能なことでもある。事実、動画マン時代にその半数はドロップアウトしてしまうのだ。

 ただし、この「ドロップアウト」という言葉は、あくまでも「続けていくことをよし」とした場合の言葉であって、別の視点から見れば見切りを付ける事がイコール「ステップアップ」と言えるケースもあるだろう。と言うよりも、辞めてしまった以上はそこを新たな出発点として、ステップアップしていこうとの決意を持ってもらいたいと思うのだ。

 一見、悲劇に思えるような事態も巨視的に見ることによって、その人が更なる成長を遂げるための人生の一コマであることに気付くことができる。このことは多くの偉人たちの人生が教訓をもって教えてくれているし、不肖、私自身の人生を振り返って見た時にも「あの辛い出来事があったればこそ……」と思える経験が数多くある。

 ここで、ある卒業生からのメールを紹介したいと思う(ご本人の承諾は得ている)。

彼は固定給制のスタジオDという作画スタジオに一度は入社したものの、あまりの多忙さに耐えかねて、ほどなくして退職してしまった。その後、フリーターをしていた彼だが、アニメへの思いを断ちがたく私のところに相談に来たのだ。相談の末、私からはスタジオSという会社を紹介し、彼は受験することになったのだが、結果的には残念ながら不合格となってしまった。さあ、次はどこを紹介しようかと思っていたところに彼からのようなメールが届いた。

 こんばんわ、卒業生のAです。

先日はお電話ありがとうございました。

結論から申し上げますと、アニメとは別の仕事に就職することになりました。

スタジオDを辞めて様々な企業に応募し、話を聞き、自分の認識の甘さを思い知りました。

まだ若いし、普通の仕事に就く事も頑張れば可能だろう、普通の仕事に就けば、仕事がつまらなくても一生安定した生活ができるだろうと思っていました。

 ・不景気で激務が基本の、若い時にしかできない仕事が多い

・既卒者(職に就かず学校を卒業した者、または職歴年未満の者)は多くの企業が毛嫌いし、営業・金融・外食等の続ける事が難しい仕事でなければ応募すらできない。

 そんな現実を知り、このままフリーターとしてだらだらと生きたり、つらくて一生はできそうもない仕事しかないならば、好きなことをやろうと思ったのがまたアニメの仕事を探した理由です。

スタジオDのときには曖昧にしていましたが、今回はきちんと両親にも許可をもらえたので今度こそ頑張ろうと思っていました。

ただ、スタジオSを受ける間近になって、父と関係の深い会社を紹介され受けることになりました。

この会社を受けて落ちれば、両親も自分もアニメの仕事をすることに納得できるだろうと思っていました。

結果的には自分の予想とは違い、スタジオSが落ち、紹介の会社に受かったわけです。

自分の未熟さとコネの力を甘く見ていたのでしょうか。

紹介の話がもう一ヶ月遅ければとか、コネを甘く見ずに受けることをなんとか辞退していればなと思っています。

断るという手もありますが、父の顔を潰すことになりますし、アニメの仕事に就いて苦しい思いをしたときに後悔することになるでしょうし、何より、普通の仕事が決まった今、家族全員、私がアニメの仕事をすることに反対しています。

色々と議論しましたがスタジオDを辞めた事を言われると反論できませんでした。

チャンスがあったのに、業界のリスクを見て逃げ出した自分が悪いのだと納得させています。

好きなことをできないのは寂しいなとか、何かの理由でこの話が駄目にならないかなとか思っていますが。

とりあえず、下手の横好きでしょうが絵は描きつづけたいなと思っています。

趣味というよりは日課として。絵は描けば描いただけうまくなるものですから。

私の私生活から絵の練習を除くと、食べて遊んで寝るだけの堕落した生活しか残ってないですから。

昨日の自分より今日の自分が何がしか成長しているというのはいいものですし、描きつづけていれば何か見えてくるかもしれませんから。

色々を協力していただいたのに、このような結果になってしまい、誠に申し訳ありませんでした。 

H・A

 一抹の寂しさを感じさせる内容だが、何とか前向きになろうと自分自身を鼓舞している面もあり、救われる思いがする。

 人生に「もし」と言うことはない。「もし、あの時……」と考えることはあっても、過去に戻ってやり直すことが出来ない以上、起こったことはあるがままに受け入れるしかないのだ。あきらめろと言うのではない。 むしろ、否定せず、抵抗せずに、あるがままを受け入れていった時、そこに深い意味が見いだされていくのだと思う。大きな出来事であればあるほど、そこには深いメッセージが隠されているものなのだ。

 起こってしまったことを受け入れず「こんなことは起こっちゃいけないことだ!」と、事実に対して抵抗すれば、悲しみや悔やみ、そして怒りや恐れ、憎しみといった負の感情が起こってくるが、抵抗せずにあるがままを受け入れて、そこからメッセージを汲み取っていけば、パンドラの箱のように必ずや希望を見いだすことができる。「厳しい現実」というものは、実は「大きな成長に繋がるチャンス」が形を変えたものであり、その試練に真正面から挑んでいくという繰り返しの中にこそ人生の醍醐味があるのではないだろうか。

 あるがままを受け入れるということは、努力もせずにどうにでもなれということではない。常に目標を持って、その達成の為に最善の努力をしていくのは当たり前のことだ。しかし、その結果起こってしまったことは、例え最悪と思えるような結果だったとしても、そこには深い意味があるはずだと確信し、あるがままを受け入れていこうと言いたいのである。

世の中で起こる全てのことは成長に繋がる深い意味を持ち、メッセージを放っている。何故ならば、宇宙そのものの存在テーマが「成長」だから‥‥と私は思っている。

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