2010年3月からの現場復帰とほぼ時を同じくして、私を含めた4人で新しい事業を起こしました。

その発端は前年の12月の暮れにありました。

バンタンを一緒に辞めることになったマンガ学科のK先生は私がY校にいた時からの同僚です。

彼と二人でおでんを食べながら飲んでいるとき、「Y校で一緒だったNさんは何してるかな?」という話になってその場で電話をかけてみたのです。

するとN氏もまた人生の節目を迎えており、翌週3人で会うことになりました。

会ったのは中目黒の「紅とん」という居酒屋です。

3人で囲んだ小さなテーブルは、その日その時、運命的な場所になりました。

「俺たち、このままで終わりたくないよね」「俺たちの理想の学校を立ち上げてみないか?」ということになったのです。まさかまさかの展開です。

年が明け、毎週1回のミーティングを重ねながら学校の設立に向けて準備を進めて行きました。

阿佐ヶ谷にあるアニメ会社のMスタジオの社長さんも立ち上げスタッフに加わっていただけたので、新事業の事務所はMスタジオの社長室内に置くことになりました。

学校の名前を「amps(アニメマンガパイオニアスクール)」と決めてロゴも作りました。

学校の場所は阿佐ヶ谷に決定し、教室の物件をいくつもあたりました。

結果、一階にコンビニ(サンクス)のあるビルの3階に決めました。

ホームページも立ち上げて宣伝を開始。資金を出し合って学校の母体となる株式会社アンプスを6月11日に設立しました。

ほそぼそとではありましたが夜間クラスからスタートしながら、命運がかかっているマンガ専科とアニメ専科の10月生(昼間部)獲得のための体験入学を繰り返しました。

そんな矢先、Mスタジオの社長が急死されました。

善意でお借りしていた事務所がただでは使えなくなった上に出資金をご家族に返金しなければならないという事態にもなりました。

10月生の出願が振るわず、どうなってしまうのかという不安もありましたが最後に駆け込み出願が相次いで、かろうじて目標を達成することができました。

私は三鷹(途中から吉祥寺に移転)の和風アニメーションでアニメーター仕事をやり、授業やイベント、打ち合わせの時には阿佐ヶ谷に行くというハードな日々を繰り返していました。

学校からの収入は微々たるものだったので、アニメの仕事を限界までとって頑張りました。

かつて学習塾を立ち上げた人の話を聞いたことがあったのですが、その人が言うには「軌道に乗るまでの3年間は一日も休まずがむしゃらに働いた」とのこと。

何か事を成就するというのはそういうことなんだという覚悟は決めていたので、苦ではありませんでした。

アンプスはアルバイトの事務員も入れて翌年の4月生に勝負かけました。

3・11の東北の大震災もあり波乱万丈の中でしたが、新たにイラスト専科とフィギュア専科も加えたこともあり、4月生は幸いにも目標を達成することができ、学校としての体(てい)がやっと整いました。

新年度がスタートしてしばらくして学校移転の話が舞い込んで来ました。

中野区が、中野駅近くの小学校の廃校にクリエイティブ系企業の誘致をしているというのです。

駅前の一等地であり、サブカルチャーの街でもあるので、私たちはその話に乗りました。

プレゼンの結果、移転が決定し、2011年の夏に引越して、ampsの第2章がスタートすることになりました。

そしてそのタイミングで私はアニメスタジオを持つことにもなったのです。

アニメな半生記 → 怒涛の集大成編

2・学校(amps)の立ち上げ