アニメな半生記 → 怒涛の集大成編

1・現場復帰

2010年3月、骨を埋めようと覚悟していたバンタン電影アニメマンガ学院を退職しました。

学校の方針が変わり社員講師、常駐講師は置かないで講師は全て外来講師にするということになったからです。

更に、学校自体が1年後にはゲームの学校と合体して「バンタンゲームアカデミー」という名称になり、アニメや漫画はその中のひとつの学科になることも伝えられました。

現場経験も教育経験も豊富な私のような存在がこの2年間、常に学校にいることで学生に懇切な技術指導、就職指導をしてこれたし、カリキュラムのとりまとめや、課題作りに力を注ぎ、いよいよアニメ教育の理想形を作りつつもありました。

そんな中で言い渡された方針だっただけに、かなりショックでした。

社員として残るとしても、もう授業は持たせてもらえないとのことなので「ここはもう私のいるところではない」と決断し退職願を出しました。

半分はリストラのようなものですが、リストラするような会社に執着しても見苦しいだけだし、むしろ大きく飛躍するチャンスだと腹を決めて退職を決断しました。

たまたま当時読んでいた本に「2塁に足をつけたまま3塁には進めない。いちかばちか飛べ!」というようなことが書いてありました。

「そうだ、これはまさに、ひとつ上のステージにあがるチャンスなのだ」と純粋に思えたのです。

腹を決めると不思議なもので、心すっきり、さあどんな人生が展開していくのかとワクワクもしだしました。

そして、私を取り巻く環境が音を立てて動き出したのです。

まずアニメーターとしての現場復帰を決意。

かつての教え子が三鷹に立ち上げた「和風アニメーション」という作画スタジオに誘っていただき、席を置かせてもらえるようになりました。

バンタンからも乞われ、外来講師として週に4つの授業を持たせてもらうことにもなりました。

この時期に不思議なタイミングで再会した、かつての仲間と、新しい事業を立ち上げようと言うことにもなりました。

そして3月17日の最終出社日の翌日から、休む間もなくアニメーター、講師、新事業の三つ巴の忙しい日々が始まってのです。

もう自分はサラリーマンなんかじゃないんだ!

息子も二人、学校を出したことだし、あとの人生は自分がワクワク出来ることだけやって生きていこう!

自分が一番輝けることで社会に貢献していこう!

そう思うとともに、その「時」を感じました。

アニメ業界、現場復帰の第一作目は「真・恋姫無双2」。

作画打ち合わせのとき「この炎はCGでやりますので作画不要です」「吹雪もCGでやります」「手前にせまってくるのはデジタルで拡大します」と言われ、知識では分かっていたものの若干、浦島太郎状態。

レイアウトは、昔は基本的に原図のもとを1枚描けばよかったのですが、今はラフ原画をすべて描いて、タイムシートにタイミングまで打つという話を聞いてびっくり。

線も細かく、どんなに小さくてもあまり省略しないのが近年のスタイルのようで、これにも驚かされました。

その後、「劇場版みつばちハッチ」「夢色パティシエール」「NARUTO疾風伝」「あにゃまる探偵キルミンずぅ」「会長はメイド様」など、立て続けに仕事を請けて、「今のアニメが描けるだろうか」なんていう不安を感じている暇もない日々となりました。

特に「みつばちハッチ」では作画監督の補佐もさせていただき、やりがいを感じました。

こんな面白い仕事をよくもまあ何年も離れていられたなあとさえ思うようにもなりました。

外来講師として渾身の授業も続けています。

そして、今までやってきたことの集大成を形にすべく、新しい事業にも着手しています(この事業の詳細は章をあらためて報告します)。

52歳にして人生がこれほど転換するとは思ってもみませんでしたが、今にして思えば、全てがここに向かって動いていたとも思えるし、人生って本当に不思議なものです。

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