アニメなメッセージ
二つのたとえ話

Y校時代、卒業間近の二年生のクラスでこんな話をした。

  こんなたとえ話があるので「贈る言葉」だと思って聞いてほしい。レンガを積んでいる人にある人が尋ねた。

  「あなたは何をしているのですか?」

「見れば分かるでしょ。レンガを積んでいるんだよ。きついしー、あんまりお金にならなくていやになっちゃうよぉ」

 次にその人は、レンガを積んでいるもう一人の人に尋ねた。

「あなたは何をしているのですか?」 

「私は今、素晴らしい大聖堂を建てているんです」

 最初に尋ねた人は、仕事の辛さや金銭的に報われないむなしさを愚痴として語ったが、二人目の人はレンガの中にやがて完成するであろう大聖堂を見ていたのだ。

 この話はアニメーター、特に動画マンにぴったりの話だと思う。

「あなたは何をしているのですか?」 

「見ればわかるでしょ。動画を描いているんだよ。きついしー、あんまりお金にならなくていやになっちゃうよぉ」

確かにそう言いたくもなるだろうが、そんな時はどうか二人目のレンガ職人を思い出してほしい。

 しかし、動画の場合は作っている作品が素晴らしいとは限らない。歴史に残るような名作であれば「私は今、素晴らしいアニメーションを作っているのです」と答えられるが、現実的には三流のエロアニメだったりするかもしれない。

 でも、そんな時でも胸を張って、こう答えてほしい。

「いつの日か携わる名作の為に今コツコツと力をつけているのです!」と。

 

 もう一つ、面白いたとえ話をしよう。

 あるレポーターが地獄に行った。そこには豪華な料理が並べられており、地獄に堕ちた亡者達がそれを食べようとしていた。いくら食べてもいいのだが、一つだけルールがあってものすごく長い箸を使って食べなければいけないのだ。長い箸では食べ物を摘むことはできるのですがそれを口にもっていくことがどうしてもできない。亡者達は美味しそうな料理を目の前にしながら食べるに食べられず、餓鬼のように飢え苦しんでいるのだった。

 レポーターは次に天国に行った。極楽と言ってもいいだろう。天国の様子を見てレポーターはびっくりした。そこの様子は地獄と全く同じだったからだ。しかし、たった一つ違っていたのは天国の住人達の行為だった。彼等は箸で摘んだ食べ物を自分では食べようとはせず、他人の口に運んで食べさせ合っていたのである。

 このたとえ話の教訓の一つは「自分を取りまく環境の方に善し悪しがあるのではなく、それは全てその人の精神レベルの反映」だということだろう。出来事そのものは、良いも悪いもなく中立的なものなのだ。それを受け入れずに否定的に捉えることで、苦しみや悲しみ、憎しみや恐れ等、マイナスの想念が生まれて来る。逆に、全てを受け入れ肯定的に捉えることで、希望や喜び、感謝や向上心等、プラスの想念が生まれて来るのだ。

 ひとつの出来事に臨んで「もう駄目だ」と思う人もいれば「よし、チャンスだ」と思う人もいるだろう。同じ人と関わっても「嫌な奴と関わってしまった」と思う人もいれば「自分にないものを学んでいこう。でもああいう所は反面教師になるかな」と思う人もいるだろう。

 

 さらにもう一つの教訓。

 自分のことしか考えられない人は同じようなエゴの人を引き寄せ、人の苦楽に思いを馳せることの出来る人は同じような思いやりの人を引き寄せると言う「類は友を呼ぶ法則」が語られているのだと思う。「自分が変われば環境(人も含む)も変わる」と言うことを私はほぼ確信している。

 何故「ほぼ」なのかと言うと、人間は感情の生き物だから「あいつさえいなければ」とか「こればかりはどうしようもない」と言った思いに支配されてしまうことがどうしてもあるからだ。そのような自分を乗り越えて不動の自分を作っていくことこそが、そもそも人間として生まれて来た目的なのかもしれない。

辛い時、苦しい時、これらの教訓を思い起こして自分の状況に当てはめていけば必ずや突破口を開くきっかけになるだろう。 強気の楽観主義で頑張ってほしい。

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