アニメなメッセージ
自分をオープンにできない君へ

根っから明るくて、いつも周りに人が集まってくる人がいる。その逆で、根っから暗くていつも孤立している人もいる。いわゆる「ネアカ」と「ネクラ」である。

 ネクラの人は、「周囲の出来事に煩わされることなく、心静かに自分の内面に目を向けて孤独を楽しんでいる‥‥」と、言えないこともないが、そのような生き方を通して大きな成長を得られる人はまれだろう。ほとんどのネクラの方々は、日々を寂しく過ごし、ストレスを蓄積させているだけなのではないだろうか。

 私自身、今でこそ「しゃべりの小幡」として、仕事だけではなく雑誌やテレビの取材応対から講演、そして友人や知人の結婚式の司会も十回以上こなす等、人前で話すことは得意と言ってもいいほどになったが、小学生のころは内向的でおとなしく、いつも兄の後ろに隠れているようなタイプだった。青年期以降、様々な訓練を受ける機会があり、かなり自分をオープンに出来るようになったが、内向的な傾向性がいまだに自分の内側でくすぶっていることを自分ではよく分かっている。それだけに自分をオープンに出来ない人の気持ちはよく分かっているつもりだ。

 アニメーターを目指す人の中には内向的なタイプの人、いわゆるネクラの人が少なからずいるもので、そのような人はクラスの中でなかなか友人ができず、できないままの人は当然の結果として孤立してしまう。

 そのような人がアニメーターを目指すのは何故なのだろうか。おそらくは、内向的であるが故に自分の中の「本当は目立ちたい。認められたい」という願望をアニメのヒーロー、ヒロインに投影して、結果としてその道を目指そうと思うようになるのかもしれない。本人が「自分はネクラで結構」と割り切っているのなら、それはそれでいいのだが、いざ就職という時に面接試験の中でその傾向に気づかれてしまうと、画力があっても落とされてしまうということがある。例え入社できても、その傾向を引きずっていく限り、先輩に可愛がってもらいにくいし、自分の気持ちをアピールすることが苦手である以上はステップアップのチャンスを生かしていくことは難しいだろう。せっかくの力を持ちながら、くすぶっている人を私は現場で何人も見てきた。結論から言えば、「自分を開けない人は人生を切り開いていくことも困難」なのだ。

 自分をオープンに出来ない人の胸の内にあるのは恐怖であり不安だと思う。その遠因はだいたいにおいて乳児期から幼児期にある。

 赤ちゃんは自分を完全にオープンにしている。欲しいものがあれば手に入るまで泣き続けるし、嬉しいことがあれば無邪気に笑う。ところが、そんな乳幼児の頃に、何かを主張する度に激しい攻撃を繰り返されてしまった場合、それがトラウマ(精神的な傷)になり、だんだんと自分をオープンにすることができなくなってしまう。何かしようとする度に「駄目だ!」「悪い子だ!」「うるさい!」と言うような否定的な言葉を投げつけられたり、実際に暴力を振るわれたりすれば、小さな魂は貝の中に閉じこもるしかなくなってしまうのだ。

 もちろん、持って生まれた遺伝的な部分もあるだろうが、乳幼児期の環境は「三つ子の魂、百まで」と言われるように、人生に多大な影響を与えていくものなのだ。その結果、「自分は力のない駄目な人間だ」「自分は悪い人間だ」「自分は人を不快にさせる人間だ」という思い込みが潜在意識の中に刷り込まれ、挙げ句の果てにネクラになって外部との接触を断つか、そうでなければよっぽど自分を飾って、強そうな人、良い人を演じるしかなくなってしまう。

では、どうすれば良いのだろうか。過去は変えられないのだからどうしようもないのだろうか。

そんなことはない。繰り返し否定され続けた結果、今の自分があるのならば、繰り返し自分を肯定することで、これからの自分を作っていけばいいのだ。

でも、その前に自分を否定しつづけてきた人について思いを馳せていこう。えてしてそのような人達もまた、否定されながら育ってきた可哀相な人たちなのだ。多くの場合それは親だと言えるので、ここでは親を加害者として話を進めていきたいと思う。

 自分の子供をかわいくないと思う親はめったにいない。しかし、自らトラウマを抱えている親は愛情の表現が上手く出来ないために、ついつい言葉が否定語になってしまうのだ。また、愛情があってもそれを行動にすることができないために、その子供は「自分は愛されることのない不必要な人間なんだ」と思い込んでしまうのだ。

 そのような呪縛から開放されたいのであれば、先ずは愛情表現がへたで、おそらくは自分自身もまた苦しんできたであろう、あなたの親を許してあげよう。決してあなたを苦しめようとしたのではないのだ。親自身が「自分をオープンにすることは悪いことだ」という呪縛とも言うべき思い込みを持っているため、子供がオープンになる度に無意識のうちにそれを抑えこもうとしてしまうのである。そのような、被害者でもある親を許すことで過去の呪縛を断ち切っていくことができる。でも、これはものすごく難しいことかもしれない。

 しかし、ここに一つの方法がある。

 心の中で、あなたの親をどんどん小さくして三才くらいの子供にするのだ。小さくなった親が恐怖に震え、助けを求めて泣いている姿を想像してほしい。あなたはその子をしっかりと抱きしめて、笑顔で優しい言葉をかけてあげよう。「大丈夫だよ。何も心配はいらないからね。守ってあげるからね」あなたに抱きしめられている子供はやがて体の震えを止め、泣き止み、あなたに笑顔を返してくれるだろう。そこに劇的な「許し」が生まれる。事実、あなたの親は幼い頃、恐怖に苛まれて心に傷を負っていたのだ。もう、悪しきパターンはあなたの代で断ち切ろう。

 過去の事実は変えられないが、過去への解釈を変えることで今の自分を百八十度、変えることができる。あなたは苛められていたのではないのだ。悲劇にも、「へたくそで間違った愛情表現」を苛めだと思い込み、心に傷を負ってしまっていたのである。そしてその思い込みはやがて「自分は幸せになる価値のない人間だ。苦しむことが自分の人生だ」という更なる思い込みに発展していく。その思い込みはあなたの行動パターンの中に常に現れ、自分が苛められたり、不幸になったりする環境を呼び寄せてしまう。それがますます思い込みに確信を与えてしまうのだ。

 潜在意識はそこに充満しているものを願望だと受けとめ、現実化する力を持っている。これは多くの成功法則の提唱者(ジョセフ・マーフィーやナポレオン・ヒル等)の主張でもある。つまり、潜在意識が恐怖に満ちていれば、潜在意識は「あなたが恐怖を求めている」と判断して恐ろしいことが現実にやってきてしまうのだ。だから「恐れていたことがやってきた」というのは間違いで「恐れていたからやってきた」ということになる。

 「それはおかしい。私の心の中には恐怖を避けたいという思いが充満しているはずだ」とおっしゃるかもしれない。しかし「避けたい」というのは表面的な思考であって、「恐怖を避けたい」と言う思いで萎縮している精神状態はあくまでも恐怖そのものでしかないのである。怒りの感情を持った人はやはり怒りを持った人を呼び寄せるので、もめごとがいつまでも絶えない。自分を好きになれない人は、自分を否定するという内面が環境に反映して、苛めや自己、孤独を呼び起こしてくるだろう。じつは病気もまた、内面の反映なのだ。

 潜在意識の法則は何故このようにやっかいなものなのだろうか。実はやっかいと言うよりも全く無駄のない絶妙な法則なのである。この世で起こる事に意味のないことはない。しかも巨視的に見れば、全てが成長に繋がる出来事であり、それは必然としておこり、必要だからこそおこり、ベストなことだと言えるのだ。

 恐怖心を持った人が恐怖を呼び込むのは何のためかと言えば、そこから必要な学びを得る為なのである。何を学ぶのかと言えば、「自分に降りかかる恐怖は全てが自分の潜在意識の反映であり、自分が乗り越えるべき課題として眼前に示された宇宙からのメッセージなのだ」と言うことなのだ。全ての歓迎されざる出来事の原因が他人や環境にあるのではなく、自分自身にあることに先ず気が付かなければならない。外部に原因を求め続けていると一見、ものごとが解決したかに見えても、本質的な自己改革ができていないので、本人に気付きが得られるまで似たようなパターンの出来事がいつまでも繰り返し起こり続ける。

 我々は宇宙の申し子である。宇宙と言う大生命を多面体に例えるのであれば我々はその一側面なのだ。しかも無限の可能性と表現性を体現した宇宙と繋がっているのだから何も恐れることはないし出来ないことなど何もないのだ。そして、全ては順調であり完璧なのである。

 別な例えで言えば、本来、私たちは美しく輝くダイヤモンドである。ところがその周りに汚れが沢山こびりついているため、汚れそのものを自分だと思ってしまっているのだ。そのことに気付かせるために、環境が鏡となって私たちの潜在意識の上層部に蓄積された汚れを映し出し、乗り越えるべき課題を明確にしてくれているのである。我々は課題を一つ一つ乗り越えて周りの汚れを落としていくことでダイヤモンドの輝きを取り戻すのだ。

 さあ、それではどのようにしてダイヤモンドの輝きをとり戻せばいいのだろうか。次のステップとしては自分自身を受け入れていこう。自分を愛していいのである。

 しかし「自分は愛されるに値しない人間だ」と言う思い込みが抵抗してくるだろう。ずっとそう思い込んできたのだから、その抵抗はかなり強いもののはずだ。それでもめげずに「私は自分を受け入れます」と言い続け、思い続けよう。苦しい中で頑張ってきた自分、そして少しでも成長しようと努力しているひたむきな自分を愛してあげよう。自分をオープンにする秘訣は先ず自分を好きになることなのだ。

 親を許し、自分を好きになってきたあなたの笑顔は、もう引きつることはない。自分を飾らず、繕わず、弱い部分を隠したりせず、ありのままの自分を周囲にさらしていこう。きっかけは難しいかもしれないが、先ずは明るく挨拶をしていくことだ。分からないことを聞いてみるのも良いだろうが、基本は、あなたがしてもらったら嬉しいことを人にしていくのだ。

 潜在意識のレベルでの自己改革だから時間はかかるかもしれない。しかし学生時代をじっくり使っていけばいいのだ。学生時代にアニメーターとしての技術を身に付け、映像クリエーターとしての感性を磨くとともに、人間として大きく成長していこうと決めていこう。

 先ずは決めることだ。今この瞬間の前向きな一念が「栄光ある未来」を作るのである。過去は既に過ぎ去った記憶のカスに過ぎない。そんなカスに縛られてビクビクしたり怒りを感じたりしていては、いつまでも前に進む事は出来ない。

 未来もまたどうなるか分からない幻に過ぎない。そんな幻を恐れて萎縮していては真っ直ぐに進むことは出来ない。

 我々にあるのは「今」だけなのだから、今を精いっぱい充実させることに専念していこう。もし、過去を思うのであれば、ただ教訓にすればいいのだ。そして未来を思うのであれば、限りない可能性を秘めた時空間として「どんな出会いがあるのだろうか」「どんな展開になってくるのだろうか」と楽しみにすれば良いのだ。そうすれば、今ここにいる自分を「ワクワクした前向きの自分」にすることができる。それが「今に生きる」と言うことなのだ。

 過去や未来に縛られながら生きている偽りの自分は、今に生きようとする自分に激しく抵抗してくる。過去の記憶のカスや未来のあてにもならない幻に自分を縛り付け、その縛り付けられた自分こそが本当の自分なのだと思わせようとして、様々な思考を送り出してくる。

 しかし、惑わされてはいけない。「無駄だ」「前例がない」「これ以上は無理だ」「もう遅い」「過去は変えられない」「悪いのはあいつだ」こんな具合である。このようなマイナス思考を抱いている自分があるのだとすれば、それは惑わされている証拠である。「私は宇宙の申し子なのだから何ものにも制限されることはない」と言い切ろう。その確信に立っていれば、知るべきことは自然に啓示されるし、必要なものは自然に手元に流れてくる。「そんな神懸かり的な奇蹟が起こるはずがない」と言う考え自体が自分を制限してしまう。

自分をオープンに出来ない人、過去のトラウマに縛られている人、自分に自身が持てない人は、以上のような観点に立って自分自身を見つめ直してみよう。そして自分に宣言するのだ。「よし、私は変わるぞ!」と。

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