諸般の事情が重なり二〇〇六年三月に私はY校を退職した。十三年間、この学校で学ぶべきことを学んで卒業したのだと私は思っている。

その後の二年間、私は江戸川区西葛西にあるT校勤務した。マンガ、イラスト、アニメ、ゲーム、デザイン、CG映像などクリエーティブ業界で活躍する人材を育成するしっかりした専門学校である。Y校と違い、東京都の認可を受けた専門学校なので海外からの留学生も毎年、数多く入学してくる。

二〇〇七年五月、私を含むTのスタッフ三名が韓国のソウルで開催された「第十一回ソウル国際カトゥーン&アニメーションフェスティバル(略称SICAF)」に参加するため、ソウルに飛んだ。韓国の若者達に学校をアピールするため、このイベントにTがブースを出展したからである。ソウルにおける私の顛末記をT校での最大の想い出として綴っておきたいと思う。
(右の写真は行きの機内食)

ちなみに当時の私は全く韓国語が分からず、にわか勉強で挨拶を覚えて行った程度だったが、この旅をきっかけに韓国語の勉強を少しずつだが始めるようになり、今に至っている。

SICAFは、東京国際アニメフェアに比べれば規模こそ小さいものの、その歴史は長く、韓国のマンガやアニメのファンにとっては毎年楽しみな恒例のイベントとして、すっかり定着しているようだ。ソウル市内のイベント施設「SETEC」の屋内外で五月二十三日から五日間に渡って,にぎにぎしく開催された。

私は開催二日目の夕方から合流したので本格的なスタートは三日目からとなった。

のブースは三メートル四方で、学生作品や学校の資料をパネルやテーブルなどに展示するとともに映像の資料や作品は大型モニターを使って上映もした。ブースの中での私の任務は人寄せパンダとしてアニメの作画やキャラクター描写の実演をすることであった。私の滞在した四日間を日ごとに報告させていただく。
(左の写真は会場入り口の様子)

 



初日

会場には四時過ぎになってから到着した。イベントは六時までなのでわずかな時間しかなかった。この日、韓国は祝日でお休みだったのだが、あいにくの土砂降りのためか入場者はそれほどではなかった。

さっそく動画の実演をしようと思ったのだが日本から送ったライトボックスが電圧の違いのため器具を購入しないと使えないことが判明。とりあえず振り向きの原画だけは描きあげて翌日に備えた。

イベント終了後、韓国出身のスタッフであるオーさんに案内してもらって焼肉屋さんに行った。日本からの観光客が多いため、街のあちこちに日本語が氾濫していて少々興ざめしたが、マッサージのことをマッサジ、ギョウザのことをギョザとか、変な表現が結構あって笑えた。韓国語は付け焼刃で勉強していったのだが、焼肉屋さんで「メチュジュセヨ(ビールください)」が通じてうれしかった。

韓国ではビールのことを麦のお酒という意味でチュと言う。日本のビールに比べるとアルコール度数が低く少々水っぽいのだが、すっきりしていて焼肉には合うのかもしれない。マッコリというにごり酒は口当たりもよく、とても美味しかった。

本来ならばこの日はブッダの生誕日で夜はお祭りになるはずだったのだが、あいにくの雨のため中止になってしまい残念無念。ストリートに延々と吊り下げられた数多のちょうちんが虚しく雨に打たれていた。
(上の写真はT校スタッフのS氏とおばた先生)

 

二日目

二日目は雨がすっかりあがり、雲ひとつない快晴になった。

朝、出かける前にホテルの部屋でテレビをつけると「クレヨンしんちゃん」が放映されていた。せりふは韓国語である。驚いたことに画面に出てくる文字までもが全てハングルに直されていた。しかも、背景の文字だけでなく動画部分の文字までも。みさえが手にした品物の値札の単位はもちろんウォンという徹底振り。韓国にいる間に見たほとんどのアニメが日本製のものだった。

ホテルのレストランでの朝食のとき「カフィージュセヨ(コーヒー下さい)」と言ったが通じなかった。あとでオーさんに聞いたら韓国にはエフの発音がないのでコーヒーのことはコピーと発音するのだと教えてもらい、翌日からはコーヒーが飲めるようになった。

さて、二日目は金曜日だったこともあり入場者は前日同様、多くはなかったが、平日だけに、学校をあげて制服姿で入場してくる中高生が目立った。私は振り向きの動画を描き始めパラパラめくったりしていると遠巻きに関心を持つ若者がだんだんと近寄ってきた。「イゴパジュセヨ(これ見てごらん)」と言って動画をパラパラと動かして見せると「ワッ、ワッ、ワッ」と驚いた。すかさずテーブルの上のキャラ表や絵コンテなどのアニメ設定資料を指差し「パドデヨ(見ていいよ)」と言うと次から次へとブースに立ち寄る人が増えてきた。話の出来る人にはアンケートを書いてもらい連絡先も記入してもらうのだ。学校としては実のところ、この個人情報を頂戴することが最大の目的なのである。住所さえ分かれば学校の資料を送り学校に関心を持ってもらうことができ、ひいては入学に繋がるかもしれないからである。

実演の合間に時間をもらって会場を散策して歩いた。驚くべきことに会場は日本のマンガやアニメ関連のブースがほとんど。ハングルが目に入らなければ日本のイベントにしか思えない有様だった。

メイド服専門のブースあり、韓国語に翻訳された日本の人気コミックがたくさん売られているブースあり、スタジオジブリのブースあり、なぜか昔に流行ったモンチッチのブースなどもあったりして、ほとんどが日本色に染まったイベントに思えた。

昼食は館内の食堂でビビンバを食べた。ただでさえ辛いのにおかずは二種類のキムチなので何とも逃げ場のない食事だった。韓国には太った人がほとんどいない理由が分かったような気がした。

日本から来たマンガ&アニメ系の学校はTの他に二校あったが火花を散らすことなくむしろ和気あいあいとそれぞれの良さを最後までアピールしていった。異国の地では同胞意識が芽生えるようだ。

二日目の夜はそんな競合校のひとつ、D校の現地スタッフ、パクさん誘い一緒にチゲ鍋を食べた。値段の安さにびっくり。(上の一番左の写真がパクさんとチゲ鍋)

 

三日目

三日目は土曜日で学校が休みのため、入場者がグッと増えた。実演ではかつて私が仕事で描いていたセーラームーンをこれ見よがしに描いていると、とたんに人が集まってきて「セイラムン、セイラムン」と言って騒ぎ出した。セーラームーンは韓国でも人気番組だったのだ。

その中の一人が「サイン、サイン」と言うので、描いた絵にサインをしてプレゼントしたのが運の、ならぬ運の尽き。とたんに行列のできるサイン会になってしまった。
(右写真は行列の様子)

順番が来ると日本語で話しかけてくる人が何人かいた。「なぜ日本語が話せるの」と聞くと彼等、彼女等は一往にこう答えた。

「日本のマンガを翻訳で読みたくないんです。日本のアニメを吹き替えで観たくないんです。だから日本語を一生懸命に勉強しているんです」

なんともかんとも、おそれ入谷の鬼子母神である。

昼食のためにサイン会を中断させてもらって外に出てみると、なんと屋外ステージでコスチュームプレイコンテストが開催されていた。しかも、そのとき舞台にあがっていたのは偶然にもセーラームーンとその仲間のセーラー戦士たちだったのだ。あまりにも可愛いので思わず何枚も写真を撮ってしまった。

他にも犬夜叉やローゼンメイデン、キューティーハニーなど、コスプレは日本のアニメのオンパレードであった。会場もおおいに盛り上がっており日本のアニメの影響力の大きさにあらためて驚かされた。

コスプレコンテストを見入ってしまったため、きちんと食事をしている時間がなくなってしまったので会場内でトルコ人のおじさんが「マシッソヨー(おいしいよ)」と叫びながら売っていたケバブを買って、口に放り込んでサイン会に戻った。

サイン付きの絵を渡すと「握手してください」とか「一緒に写真撮ってください」と要望する人が結構続出した。サイン会は日本から来たセーラームーンのアニメーターというふれ込みで行っていたにも関わらず、絵の注文にも難しいものが出始めてきた。セーラームーンの仲間のセーラーマーキュリーとかセーラージュピターまでよしとしよう。ゲゲゲの鬼太郎やキューティーハニー、サムライチャンプルーのふうやハガレンのエド等はたまたま資料があったので何とかなった。しかしガンダムのアムロ涼宮ハルヒといった無茶な注文は断らざるを得なかった。日本のアニメ恐るべしである。それにしてもプロアニメーターはアニメなら何でも描けるのだと思われてしまうようだ。

この日の夜はD校のパクさんが「小幡さんに韓国のウドンをご馳走したい」と言ってくれ、ミョンドンという街に連れて行ってくれた。屋台がたくさん出ていて活気のある街だった。韓国の会社ではほとんど残業がないという話を聞いて、心から羨ましく思ってしまった。(左の写真はT校スタッフのO氏とおばた先生)

 

四日目

いよいよ最終日である。

日曜日でもあり、予想通りものすごい人出となった。十一時のイベント開始時からサイン会はいきなり盛況になった。描いても、描いても追いつかず、途中からは数点の原画のどれかを選んでもらいトレスすることにした。それでも行列は長くなり整理券を配って対処するほどになってしまった。

そんな行列の中に、前日のコスプレコンテストで見たセーラー戦士たちがいたのだ。順番が回ってきたとき、その中の一人が流暢な日本語で私に話しかけてきた。

「私はセーラームーンが大好きでセーラームーンに勇気をもらって頑張ってこられたんです。いつもセーラームーンの絵ばっかり描いているうちに、セーラームーンを日本語で読んだり観たくなって、日本語を独学で勉強しました。今はマンガの専門学校に通ってマンガ家を目指しています。コスプレコンテストでは私たちセーラーチームがグランプリをとりました。そんな日にセーラームーンを描いていらした人と会ってお話ができるなんて、この感動をどう伝えていいか分かりません。この行列がなければいろんなことお話したいのですが残念です。どうかこれからも頑張って下さい」と言うのだ。

そこまで感動してくれることにこちらまで感動してしまった。実を言うと私にとってセーラームーンの原画を描いていた頃の一年間は辛く苦しい時期だったし、セーラームーンは仕事としても楽しんで取り組むことのできない作品だった。

それが今、十数年の時を経て、なんと異国の地で、しかも生身のセーラームーンたちに囲まれて、その彼女達に感謝され、一緒に記念写真を撮った時に、まるでトラウマが氷解するかのように「ああ、セーラームーンをやっていて良かったなあ」と心から思えたのである。   

次元が低いと言われてしまえばその通りかもしれない。いい親父が鼻の下を伸ばして情けないと言われても反論はしない。しかしこの時、アニメを作る側の喜び、そして観る側の喜び、それらが交差したところに第三の倍増された喜びが生まれることを韓国の地で私は確かに実感することができた。そのことだけで今回の韓国への出張は十分に価値があったと個人的には思っている。

ちなみにアンケートによる個人情報の獲得は目標の百枚に対して、倍以上の二百六枚をとることができ仕事としても大成功に終わった。

その後もサイン会は続き、この日はただひたすら腱鞘炎になるのではないかと思うほどの手の痛さに耐えながら、それでも心を込めて絵を描き続けた。夕刻六時までの七時間、一瞬の休みもなく描き続けたことは現役時代も含めてなかったほどのハードワークだった。

現役時代最後の作品となったセーラームーンとの邂逅は、私にとって何かの新しい出発を暗示しているのかもしれない。そんな深読みをしつつ、へろへろになった体で解体作業の始まったイベント会場をあとにした。

韓国での最後の夜は、イテオンという街でのすてきなパーティーに招待してもらった。韓国人スタッフのオーさんの友人たちがオーさんのために開いてくれたホームパーティーに私まで招いてくれたのだ。オーさんの友人のためにセーラームーンを三枚描くことになったが、心から楽しめる楽しい夕べとなった。
(左写真はホームパーティーの様子)

翌朝、素敵な思い出を心に、お土産のキムチと唐辛子チョコを鞄に詰めてアシアナ航空機で帰国の途に着いた。(下の写真は帰りの機内食)

この星の上では、まだまだ国家間の疑心暗鬼がなくならならず、二十世紀の遺物にすべきだった戦争やテロは依然として庶民の命を奪い続けている。人々の心をつなぐのは政治でも経済でもなく文化なのである。我が国のアニメやマンガは世界に誇れる文化と言われるまでに成長している。その担い手を私はこれからもしっかりサポートしていきたい。それが私の使命だと思っている。

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