アニメな半生記 → 講師奮闘編

1・講師生活のスタート

 一九九三年四月、ついに私の講師生活がスタートすることになった。 入社後数年経ってからは立場的なこともあり、七時前埼玉の家を出て、八時前には学校に着くようにしなければならなくなったが、入社したての時期は九時二十分から始まる朝のミーティングまでに出社すれば良いという状態だった。それでもアニメーターの頃とは違い、きちっとした時刻に家を出て、タイムカードをガチャンと押す、サラリーマンとしての生活がスタートしたのだ。トレーナーとジーパンでバイク通勤していた生活が一変し、背広こそめったに着ないものの、ジャケットを羽織って満員電車のすし詰めに耐える日々となったのである。

Y校は分類的には各種学校に属しており一般にはシティースクールと呼ばれている。その実体は、株式会社が運営する大きな塾のようなものと思って頂ければ良いだろう。無認可校なので、学校法人のように文部科学省による制約を受けることなく自由な発想の学校として現場直結のカリキュラムを組むことができるのだ。

 さて、私がY校に入社したのは四月の始め頃で、ちょうど学生たちの春休みの最中だった。講師やスタッフは入学式や教材販売、そして新学期の準備に追われていた。私は右も左も分からない中、最初の何日かは、指示を受けながら入学式に配布する資料のセッティングや必須教材の袋詰めに明け暮れた。そして入学式後は、教室の整備や課題作りにいそしんだ。そんな一連の仕事の中で、私にとって画期的だったのはワープロで書類を作る仕事を与えられたことだった。今でこそワープロそのものすら見かけることもなくり、パソコンの時代になったが、当時は大抵のオフィスでワープロが使われていたのだ。

 私は恥ずかしながら、それまでワープロを使ったことがなかった。時代的にもそのような時代だったのだ。人に教えてもらいつつ、人さし指でキーボードの文字をうろうろと探しながら、ポツンポツンと打ち込むという情けない状態で、ワープロ仕事をした日は肩がパンパンにこってしまったものだ。

 これではいかん、と思った私はさっそく自分用にカシオのワープロを購入し、会社に持ち込んで、ことあるごとに使うようにした。 おかげで短期間の内に問題なく使いこなせるようになった。

 ワープロはぼろぼろになるまで三台を使い潰し、その後はノートパソコンを使うようになった。パソコンは、システムによって札幌から福岡までの全校のスタッフとインターネットで繋がっていた。全スタッフにお知らせをする掲示板や、特定の人に連絡をして返事がもらえる回覧板といった機能もある。さらにスケジュールの書き込みなどもでき、とても役立った。持ち帰り仕事がある時は自宅のパソコンにデータをインターネットで送っておくのだが、本当に便利な世の中になったものだ。使うソフトは、ワードとエクセル、ビジュアルの作成にはフォトショップとイラストレーターがメインである。

 Y校の教員室には講師と事務員合わせて約四十名のスタッフがいた。特に講師は、ほとんどが現場のクリエーターあがりなので一癖も二癖もあったが、基本的にはいい人たちばかりだった。 良く言えば、「クリエーターの梁山泊」と言ったところだろう。

さて、いよいよ授業の初日を迎えることになった。最初の一週間は研修として他の講師の授業に立ち合わせてもらった。私の記念すべき初日の授業は、立ち合いではあったが、二年生の午前クラスの授業だった。授業の冒頭でメイン講師に促され、挨拶をした。

「今年度からアニメーター科の講師としてお世話になることになった小幡公春と言います。皆さんは恐らくこの年間、大変な思いをしてここまで来たのでしょうから、もうひと踏ん張り頑張って、いい形で就職を勝ち取ってください。そのために私としては、十五年間の現場経験を授業の中に生かして、皆さんに実力をつけてもらえる授業を心掛けていきたいと思います。宜しくお願いします!」

こうして私の講師生活がスタートしたのだった。

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