アニメな日本史
隆盛期
1978(昭和53)年〜1998(平成10)年

一九八〇年代のテレビアニメは本数も増え、急速にジャンルが多様化していった。誰もが知っているアニメが少なくなっていき、マニアックとも言える作品がそれぞれのファンを持つ時代になっていき今に至っている。

昭和五八(一九八三)年には、世界初のOVA『ダロス』(右写真)がスタジオぴえろによって制作され、アニメ史に、劇場でもテレビでもない新しい流れが生まれた。OVAとはオリジナル・ビデオ(もしくはヴィジュアル)・アニメーションのことで、ビデオやDVDといったメディアで発売またはレンタルを主たる販路として作られる商業アニメ作品のことである。

OVAも始め、その名の通りオリジナル作品ばかりだったが、やがて劇場アニメやテレビシリーズの続編も作られるようにな。また、OVAはテレビの規制枠の中では表現できなかった暴力的な表現や性表現可能となったため、そのような刺激を求めるファン層をつかむことにもなっていく。近年はOVAで人気の出た作品が逆にテレビアニメ化されるといったケースもある。

もうひとつの新しい流れとして「深夜アニメ」がある。現在、二十三時以降に放映されるアニメは数十本あり、その半数はテレビ東京系によるものである。

最初の深夜アニメは昭和三八(一九六三)年の『仙人部落』と言われているが、事実上はそれから二十年のブランクを経た昭和六二(一九八六)年の『レモンエンジェル』からである。ただし、深夜アニメの本格的な始動は一九九〇年代半ばからとなる。

深夜アニメは全日の作品に比べ規制が緩いため、ハイティーン以上の層を狙った刺激的な作品、もしくは内容的に深い作品がその特徴となっているが、クオリティ的には玉石混合である。放映終了後にブラッシュアップされてDVD化されるケースも多い。

ところで、宮崎駿は大塚康生を作画監督にすえて昭和五十三(一九七八不朽の名作テレビアニメ『未来少年コナン』(左写真)を初演出した。宮崎監督時代の幕開けである。ちなみに、この作品はNHKが初めて取り組んだ三十分シリーズのアニメ番組だった。

宮崎は翌昭和五十四(一九七九年公開の『ルパン三世カリオスとロの城』(右写真)で大塚作画監督と再びコンビを組み、劇場作品の監督デビューを果たした。後にファンの間で『カリ城』と呼ばれるようになったこの作品は『ホルス』の時と同様、公開時は興行的には失敗に終わるが、後年、両作品ともに名作殿堂入りを果たすことになる。当時、宮崎駿の名を世間はまだ、全く知らなかったのだ。

アニメ誌「アニメージュ」に連載していた宮崎の漫画『風の谷のナウシカ』のアニメ化が決まり、昭和五十九(一九八四年、宮崎自身監督し、トップクラフトの制作により公開された。一般世間に宮崎の名が轟いた瞬間である。これを機にアニメージュの発行をしていた徳間書店が出資して、「スタジオジブリが誕生することになる。

さて、劇場アニメでは、風の谷のナウシカ』(左写真)公開の昭和五十九(一九八四年、押井守監督『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が公開され話題を呼んだ。押井ワールドとも言われる押井アニメの始まりである。この作品は数ある『うる星やつら』の中でも最高傑作と言われているが、原作者の高橋留美子はこの作品に激怒し「大嫌い」とまで言っている。逆に言えばそれだけ原作者の感性から離れた押井ワールドの作品だったのだろう。

さて、この隆盛期に流れ星のように現れ、そして消えていったアニメスタジオがある。キティちゃんのサンリオが作った「サンリオフィルム」である。昭和五十二(一九七七)年にやなせたかしの原作から短編アニメ『ちいさなジャンボ』を製作。翌年にはやはりやなせの原作を題材に長編『チリンの鈴』、さらに『親子ねずみの不思議な旅を公開。その後『星のオルフェウス』『シリウスの伝説』といった、いかにもサンリオチックなフルアニメの長編を公開したがSF全盛の時代に興行成績が奮わず戦線離脱。テレビアニメとは一線を画した仕事をし続けてきたサンリオフィルムのスタッフの多くは、ウォルトディズニージャパンに移籍していった。

昭和六十(一九八五年に設立されたスタジオジブリは翌昭和六十一(一九八六年に宮崎の監督で『天空の城ラピュタ』、昭和六十三(一九八八年には『となりのトトロ』、同年、高畑勲の監督で『火垂るの墓』(右写真)が公開された。以降、宮崎と高畑の作品が続々と入れ替わり立ち代り公開されるようになっていった。

いずれも日本のアニメ史にその名が刻まれる上質な作品群である。スタジオジブリが質的な面で日本を代表しえるアニメ会社であることは一作ごとに衆目の一致するところとなっていった。ちなみにジブリ作品のタイトルは平成二十(二○○八)年の「崖の上のポニョ」に至るまで、ほとんど『○○△△』となっている。

同時期、昭和六十二(一九八七年には若武者たちが立ち上げたアニメスタジオ、「ガイナックスが『王立宇宙軍オネアミスの翼』を公開。翌六十三(一九八八年には原作者の大友克洋自身が監督した『AKIRA』が公開され今に至るクールアニメの路線が敷かれた。

クールアニメというのは大人の鑑賞にも耐えうる海外マーケットまで視野に入れたかっこいいアニメのことである。それを決定づけたのは平成七(一九九五年にプロダクションIGが公開した押井守監督の『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(左写真)である。翌年、アメリカのビルボード誌でビデオ売り上げが一位となり、日本のアニメがいい意味で海外から高い評価を得るきっかけとなった。

この年、テレビでは庵野秀明監督による『新世紀エヴァンゲリオン』(右写真)がガイナックスの製作で放映を開始している。ストーリーの難解さとキャラクターメカのデザインが評判を呼び関連商品が爆発的に売れて社会現象と言われるまでになった。映画、ゲーム、コミック、フィギュアから果てはパチンコにまでマルチメディア展開され今に至っている。当時はまさに世紀末であり、近未来に対する不安や期待が反映された作品が多く作られた。

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