アニメな半生記 → アニメーターを目指して編

4・仕上げでアニメ界デビュー

アニメの仕上げ会社「グループジョイ」での年半は、貧しくとも夢と希望に満ちた、まさに青春そのものの期間だった。後年、少し鼻をつくアニメペイントのにおいを嗅ぐたびに、溢れるような懐かしさが胸に広がったものだ

当時の仕上げというのは、デジタル化された今と違って、アニメーターが描いた動画を透明なセルと言われるフィルムシートに写し取り、特殊な絵の具で裏から着色していく作業のことを言う。

 グループジョイは私を除くと、男性三人、女性五人の小さな会社だった。

男性は、特効(エアブラシなどの特殊効果)を兼ねた社長のAさん(左写真)、マシンがけ(トレースマシンで動画をセルに転写する)と外回り(外注スタッフから仕上がりを回収したり、発注元に納品する)担当のMさん、セル検(あがったセルに不備がないかを検査する)のKさん。

女性はトレース(転写された線の不備を修正し、色線をハンドトレースする)が二名(下写真)、ペイント(セルの裏側から色を塗る)が三名で、これに私が加わって四名の陣容になった。他に、仕上げ会社の当時の常として、主婦を中心とした何人もの外注スタッフが出入りしていた。

仕上げの会社は、一般的には一枚いくらの出来高制なのだが、グループジョイは固定給で、ささやかながらボーナスも出るというしっかりした会社だった。

私が入社したころ携わっていたメインの作品は『家なき子(東京ムービー製作)』と『日本昔ばなし(グループタック製作)』だった。

『家なき子』(下写真)は演出/出崎統、キャラクターデザイン・作画監督/杉野昭夫の名コンビによる作品で、当時「テレビ初の立体アニメ」として、評判になった作品である。

駄菓子屋などでアイスを買うと立体メガネがもらえて、それを通して画面を見ると本当に立体的に見えるというものだった。仕組みは良く分からないが、立体メガネのセロファンは、片方が透明、もう片方がグレーになっており、グレーを通して入って来る映像は透明側に比べて脳への到達が若干遅れるため、その差が立体感を生むらしいのだ。ただし立体感を感じるのは密着マルチといって、背景やブック(前景)がスライドしている時のみで、それ以外の時は立体メガネをかけていても効果はないのだ。そういう訳で『家なき子』は蜜着マルチが頻繁に使われた作品だった。

奇をてらった部分を差し引いてもかなりレベルの高い作品だったと思う。主人公レミの師匠であるビタリスじいさんが死ぬ場面などは、これでもかっ、というような泣かせの演出で、感動的に描かれており、私なども演出の意図通りに号泣させていただいた。また、この『家なき子』こそが、エンディングテロップに初めて私の名前を留めたアニメ界へのデビュー作だったのだ。

出崎統氏の演出は「出崎演出」といわれるほど特徴的なものだ。劇画調の止め絵、スローモーション、高いコントラスト、透過光・入射光、三回PAN、トラックバック三段引き等、例を挙げれば切りがないが、それらを手段として全体をクールかつドラマティックに魅せる巧みな術こそが出崎演出なのである。

その出崎演出のなる効果を絵と動きの面で最大限に引き出したのが絵の詩人とも言われた杉野昭夫氏である。シャープな描線と華麗な筆致でキャラクターに命を与えるカリスマアニメーターだ。この二人がコンビを組んだアニメは『ユニコ』、『コブラ』、『ブラックジャック』、『雪の女王』など数多くある。これらの作品に魅せられてアニメの道に入ったという人は少なくない。

 グループジョイでの仕事の半分を占めた『日本昔ばなし』は作家性の強いアニメーターによる個性的な作品が多く、塗っているだけでも楽しい仕事だった。日本の昔ばなしをアニメという形でこれほど集大成した功績はもっと高く評価されるべきだと思う。イメージの固定化というデメリットはあるものの、常に再放送しつづけてほしい作品でもある。

 この他に、グループジョイに在籍していた間に携わった主な作品は、『宝島(東京ムービー製作)』『マルコ・ポーロの冒険(東京ムービー製作)』『まんが世界昔ばなし(愛企画センター製作)』『ピンクレディー物語(T&C製作)』などだった。

ジョイのスタッフは皆、いい人たちばかりで、穏やかでたんたんとした日々が過ぎていった。仕事で目にする動画やタイムシートは、ア二メーターを目指す私にとって恰好の教材であり「これは!」というものはコピーしたり控えたりした。私にとって、ジョイでの毎日は即、いつの日かアニメーターになるための準備期間でもあったのだ。

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