アニメな半生記 → 現役アニメーター時代編

13・サイドワークあれこれ

 現役アニメーター時代を振り返っての記述もそろそろ幕を閉じそうなので、アニメーターの傍らにやってきた仕事、つまり私のサイドワークについて語っておこうと思う。とは言っても、二つ目の顔として、実は諜報部員だったとか、ステンレス鍋を売っていたとか、アクセサリーを作っていたとか、そういう畑違いのことをやっていたわけではなく、あくまでも絵の仕事だった。

 絵以外ということであれば、私の知人であるアニメーターのA氏は、夏から秋にかけては一旦アニメーターを休業し、全国のお祭りや縁日をフーテンの寅さんよろしく渡り歩き、てきや稼業に身を投じていた。後輩のB君は、アニメーター仕事の手が空いてしまうと、日雇いの肉体労働に身を費やしていた。しかし、一般にアニメーターは多忙であるゆえ、サイドワークをするという例はあまりないように思われる。

私がやっていたのはカットやイラストの仕事だった。旺文社のLL教室に知人のTさんが勤めており、彼からLL教室のテキストのカットを描いてくれないかと依頼されたのがきっかけだった。はじめのうちは、ナイフとかフォークとか小さな物だったが、だんだんと込み入ったもの、大きなものを頼まれるようになっていった。

一番の大仕事は何と言っても、低学年向きテキスト数冊を全て一新するプロジェクトに、最初から最後まで関わらせてもらったことだろう。こまめな打ち合わせを何度も繰り返しながら、全ページをカラーイラストで描き上げる1年以上に及ぶ仕事だった。主人公のピーター少年とジュディーという女の子、そしてモンキー君やキャットちゃんという擬人化された動物の子供達を何体もデザインして登場させた。彩色は主にカラーインクと水彩絵の具を使用した。今ならきっとコンピュータを使ったと思う。

アニメーターとの両立が相当に厳しい時期もあり、休日返上で朝から晩まで描き続けることはよくあった。正月もなく、ひたすら描いている時に、担当のTさんが年始の挨拶を兼ねて、打合せに来たことなどは、今にして思えば懐かしい思い出である。

 収入的にはアニメーションより割りが良く、絶えず仕事があったので、その当時は若干、裕福な暮らしができていたように記憶している。十万円以上する一眼レフカメラを衝動買いしたのもその頃だ。Tさんが人事移動で英語検定協会に転勤になってからは、英検の試験のカットを頼まれるようになった。

広告代理業を営む知人のOさんからの依頼で工事現場で使う看板のデザインを頼まれたこともある。工事現場で良く見る「大変ご迷惑をおかけしています」とか「頭上注意」というやつだ。メインキャラクターを子供にしたいクライアントの意向で、先ずはキャラクターデザインをするところから始めた。三点描いて、その中の一つが選ばれ、従来使われていた既存のデザインをもとにしながら描いていくといった流れで、六十点以上の絵を描いた。今でも時々、工事現場で私の描いた看板を見かけることがあり、嬉しいような恥ずかしいような感じである。

 他にも学研の学習雑誌の付録の絵(右写真)を描いたり、業界誌に四コママンガを連載していたこともある。また、釣り舟屋や合唱団のロゴマークをデザインしたり、洋装店のウインドウに貼る文字をレタリングしたこともある。

 このような仕事は十四年間のアニメーター生活の中で途切れつつも絶えずあった。大変だったが、自分の絵で勝負できるという喜びがあったし、何よりも収入面で大きな支えになったことは確かだ。

アニメーターというのは幅広い活躍の可能性を秘めている職業なのだから、単価の低いアニメだけに専念する必要はない。チャンスさえあればアニメ以外のつてを手繰り寄せて、幅広く活躍することを是非、お薦めしたいと思う。

次へ