アニメな半生記 → 現役アニメーター時代編

14・転機

 『ダイの大冒険』のあと番組はアニメではなかった。東映動画では、ほぼ同時期にいくつかのアニメが最終回を迎えたにも関わらずその時間枠を他社に奪われ、会社全体の仕事がなんと半減してしまったのである。結果として作画監督を継続できる仕事がなくなり、取りあえず、始まって半年たっていた『美少女戦士セーラームーン』の班に組み込んでもらい、原画を描くことになった。

 『セーラームーン』は、その後のいくつかの新シリーズを含めると五年の長きに渡る人気番組となったが、当時それを予想する人は誰もいなかった。もとより二クール、半年で終わるという予定であり、企画的には軽いノリの作品だったのだ。長寿番組にするはずだったのに一年で終わってしまった『ダイの大冒険』とは全く逆のケースと言えるだろう。『セーラームーン』班には若手の優秀なスタッフが集まった事もあり、ストーリーの密度や作画へのこだわりが次第に増していった。あっけらかんとした明るさを保ちつつも、シリーズを重ねるごとに非常に重厚な番組に育っていった。

このように作品とともにスタッフもまた成長していくといった良いパターンは、長寿番組だからこそと言えるが、中には長寿番組ゆえにマンネリに陥ってしまう作品もある。

そんな『セーラームーン』だったが私にとっては非常に辛い仕事だった。すでに作品に慣れている人達の中に途中から入ったことや、『ダイの大冒険』でむっちりしたデッサンに慣れ切っていた手がスリムな絵柄に馴染めなかったこともあるが、何よりも辛かったのは仕事量が少なかったことである。 

 半減してしまった東映動画の仕事を皆が分配すれば当然、割り当てのカット数も減るわけで、その結果として収入がガクッと落ちてしまった。会社からは春の新番組での作画監督としての復帰を約束してもらっていたが、後日、制作担当の人から「残念ながら春の番組枠が取れなかった」と伝えられ、「秋の新番組まで耐えてくれ」と言われた。私としては十四年間、アニメーターとしての多少のアルバイトはあったにしても基本的には東映動画一筋に操(みさお)をたててきたのだが、そろそろ潮時かなと思い始めていた。

 イラストの仕事を取れるつてもいくつかあったので、それを拡大してアニメとイラストを半々くらいでやっていけたらいいなと思い、着々と準備を進めていった。営業用の作品も描きため、アニメーター&イラストレーターの肩書きで名刺も作った。本格的な知識も必要だろうと考え、イラストレーションの通信教育も始めた。アニメの仕事は東映動画を離れ、もっと単価のいい他社の仕事を取ろうと考えていた。

 そんな状況の中で迎えた正月のことである。届いた年賀状の束を一枚ずつ見ていると、その中にかつて『ビックリマン』で一緒に仕事をしていたKさんからの年賀状があった。楽しい絵が描かれているその下の方に小さな字で「Y校で講師をしています。結構楽しいですよ」という走り書きがあった。ふーん、専門学校で先生をやっているんだぁ、とその時は思っただけだった。

 アニメーターは現場でもまれて育っていくものだと考えていた私にとって、専門学校というのはほとんど関心のないものだったのである。合作をやっていた頃、Tさんという作画監督の人に「アニメの専門学校で臨時講師をやってるんだけど、しばらく行けなくなっちゃうで代行してくれないかなあ」と相談を持ちかけられたことがあった。しかし、当時の自分としては全くその気になれず、断ったことがあった。その時、Tさんに「小幡君は絶対、講師に向いていると思うんだけどなあ」と言われたのだが、当時全くそのように思うことはできなかったのだ。

 Kさんの年賀状はしばらくの間、しまわれたままになっていたが「楽しい」と言う一言がどうにもひっかかり、二月になってからご機嫌伺いも兼ねてKさんに電話を入れてみた。この一本の電話が、私の人生を大きく変えることになったのである。

次へ