アニメな半生記 → 現役アニメーター時代編

1・ついにアニメーターになれた!

 一九七九年の三月、私はグループジョイを退職し、新人動画マンとしてスタジオカーペンターに移籍した。住まいの方もそれに先立って、三畳間のぼろアパートから同じ荻窪町内の四畳半に移っていた。知人の紹介だったため、敷金も礼金もなしで引っ越すことができた上、近所の知り合いがトラックを出してくれたので、運送代もかからずに済んだのである。一畳半という広さの違いは私に大いなる開放感を与えてくれた。嬉しくて部屋の中をグルグル回ったのを覚えている。

 グループジョイとのお別れの日、社長は私のために送別会を開いてくれた。 席上、みんながいつの間にか寄せ書きをしてくれていた色紙を贈ってくれた。目標を決めてステップアップしていく私をみんなが笑顔で祝福してくれた。短い間だったがグループジョイは、私にとってはアルバイトを除けば初めての職場であったし、社会人としての記念すべきスタートの場だった。十円単位で生活を切り詰めながら一人暮らしをしてきた生活だったが、貧しい分を夢と希望で穴埋めしてきた一年半だった。

送別会を終えて一人暮らしのアパートへ戻り、贈ってもらった色紙を眺めた。それぞれが個性溢れるコメントや絵を書いてくれていた。もう自分はジョイの人間じゃないんだ、明日からもう行かないんだ、と思うと、ものすごい寂しさを感じた。様々な想い出が去来して、止めどなく涙が溢れ出てきた。その涙は寂しさだけではなかったと思う。

「自分は一人じゃない。多くの人の善意に支えられて生きてきたし、これからも生きていくんだ。だから自分も人のために行動できる人間になっていこう」ほとんど悟りに近いような思いで感謝と決意をしたのだった。

さて、一九七九年三月十一日がスタジオカーペンターへの初出社の日だった。その二日前の三月九日に私は二十一才になったばかりだった。

荻窪駅まで徒歩で十分、そこから西武池袋線の練馬駅前までバスで三十分、さらに徒歩五分ほどのところにある宮本ビルという雑居ビルの四階がスタジオカーペンターだった。ちなみに、その二年後からは原付き免許を取り、バイク通勤になった。

スタジオカーペンターには真新しい動画机がズラーッと並び、フレッシュな新人アニメーターたちを迎えてくれた。初仕事は動画ではなく、まだ完備できてないスタジオの整備だったが、午後からは簡単な仕事が配られた。ついにアニメーターになれたんだとの感慨ひとしお、いよいよ仕上げ時代の面相筆から鉛筆に持ち替えて、プロアニメーターとしてのスタートを切った。

 記念すべき初仕事は『SF西遊記スタージンガー』のヒロイン、オーロラ姫の止め絵で、口パク(セリフ三枚の動き)付きの顔のアップだった。

その日は天気もよく、穏やかで麗らかな春の一日だった。爽やかな青空の下、夢と希望に満ち満ちた二十五人の若き男女が、「カーペンター丸」という船に乗り込み、アニメ海に船出をしたのだ。しかし、水平線の彼方に黒い雲がちらほらと見え隠れしていたことに気付く者は、まだいなかった。

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