アニメな半生記 → 現役アニメーター時代編

10・運命について

 運命的な出会いについて触れたので、ここで、私の運命観を少々語らせて頂く。

 人の運命というのは本当に不思議なものだと思う。ほんの小さな出会いやきっかけが、その後の人生を大きく変えてしまうことがあるからだ。これを偶然と捉えるのか、必然と捉えるのかは、人それぞれの生命観によるが、私は後者であると思っている。

 決して人生は運命論的に決まるものではないし、自由意思によって変えられるものではあるけれども、どう対処するかによって大きく人生が変わる出会いとかきっかけは、生まれてくる前にプログラミングされたものだと考えている。これは生命が永遠であることを大前提にした考えなので、抵抗感を覚える人も沢山いらっしゃることだろう。肉体があるから生命があるのではなく、生命があるから、その発動の場として肉体がある、という所から出発する発想なのだ。

人間として肉体を持った人生は、生命そのものの学びの期間である。限りなく成長していくために、たとえ死んでも、また新しい肉体に宿って生まれてくることを繰り返す。近年、退行催眠や過去世の記憶を持つ子供達の調査によって、科学的に明らかになりつつあることなのだ。

だからと言って、別人になって生まれてくるのでは全く意味がない。「生々流転」は「覚醒と眠り」の繰り返しに似ており、成長していこうとする生命の状態のあり方の違いに過ぎない。現世での失敗や、罪を犯してしまった行為(カルマ)のバランスをその生涯で調整できなかった場合は、来世以降の人生で必ずバランスをとっていく事になるのだ。

例えば、人を苦しめた場合は、今度は苦しめた相手の立場に自分が立ち、その苦しみを自ら味わうことで、痛みの分かる人間に成長することが求められるのだ。また、苦難に出会って、挫折したり、避けてしまった場合は、何度でも同じような苦難に見舞われることになる。再度それに挑戦してクリアーするまでは、何度でも同様の事が起こるのだ。

これは罰が当たるということではない。全てのことが成長を促す大宇宙生命からのメッセージなのだ。

また、芸術的な才能やトラウマ等、生命レベルに刻まれた傾向性は次の人生に引き継がれることが多いようだ。誰もが生まれる前に、生と生との間の中間世において、次の人生で何を学べきかテーマを決め、そのために必要な環境や出会いをプログラミングして生まれてくる。当然、そのプログラムに沿って、宿るべき胎児も選ばれるのだ。

生命にとっては、肉体に宿ること、そして三次元に生きることは厳しい制限を課せられることであるが故に、その厳しさの中で生き切ることは大きな学びと成長に繋がるのだ。やがて、この世界で学ぶことがなくなると、次のレベルに進むと言われている。

荒唐無稽なバカな話にしか思えない方も多くおられるとは思うが、これは今や、既成概念に縛られない、心ある多くの科学者によって研究されている分野でもあるのだ。

自分の中の常識を基に、ただ批判するのではなく、是非一度、関連書に目を通して頂きたいと思う。ただし、海外(主にアメリカ)では科学の対象として真剣に研究されているが、日本ではまだまだ、心霊的、オカルト的な分野に追いやられてしまっていることは、誠に残念なことである。

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