アニメな半生記 → 現役アニメーター時代編

15・運命の転職

 アニメの専門学校で講師をするというのはいったいどのようなものなんだろう。中学や高校での美術の授業のようなものなんだろうか。知らない世界のことは、どうしても既成概念と言うか、自分の知っている知識の枠の中でイメージしてしまうものだ。

 例えば、私の息子が幼稚園児の頃に抱いていた「会社」というものに対するイメージに、かつて大笑いしたことがある。会社には幼稚園と同じようにお教室があって、社員が席について、社長が先生として何かを教えるというイメージだったのだ。

 私もまた勝手なイメージを浮かべつつKさんに電話をかけた。新年のご挨拶と近況報告をしたあと、「専門学校の先生ってどんなものなんですか?」と尋ねた。Kさんは、アニメーター科の先生の中では自分が一番年上で、全体的に若い先生が多いとか、卒業制作で作画監督をやっていて大変だとか、いろいろ話してくれたあと、「ところでさあ、最近、アニメーター科の女の先生が辞めちゃって講師に欠員が出てるんだけど、小幡君やってみる気ない?」と唐突に尋ねてきたのだ。急な話にびっくりし、そんな気は全くなかったので「では、宜しく」などと答えられるはずもない。その時は「自分にもいろいろ計画や考えがあるので考えさせてほしい」と言って電話を切った。

 Kさんに再び電話をかけることになったのは、それから三週間も後のことになる。最初の一週間は公私に渡って多忙を極めており、次の一週間はうんうんと唸るほどの高熱が出て、まるまる一週間、寝込んでしまっていた。そして三週目は色々と思いを巡らせていた。アニメの先生になるということは、これまで培ってきたことの全てが生かせることでもある。そしてまた、高校時代にあこがれていた先生という職業につけることにもなる。たまたまかけた電話での話というのも絶妙なるタイミングと不可思議な縁を感じる。だめなら辞めればいいんだし、まだあの話が生きているのなら進めてもらおうか。すでに欠員が埋まっていればそれはそれでいい、縁がなかったということになる。

 そんな思いを巡らせて再びKさんへ電話をかけた。「もしもし小幡です。例の講師の話はまだ生きていますか?」答えは「イエス」だった。さっそくY校の学院長との面接を持つ段取りを組んでもらうことになったが、「面接イコール、入社意思の確認だと思ってほしい」とのこと。条件や入社したあとの詳細については全く聞けないままに話は進んでいった。

 数日後、アニメの仕事を早めに切り上げて夕方五時過ぎ頃、Y校に赴いた。生まれて初めて降りる「JR代々木駅」である。駅前の大通りは地下鉄工事をやっており、統制のとれていないごちゃごちゃした街という印象を受けた。ちなみに、地下鉄の工事はその後も数年間続き、大江戸線として結実した。

 教えてもらった通りの道を行くと、やがてY校の看板が見えて来た。そのビルの2階に上がり、受付で来訪の目的を告げるとKさんが奥から出てきて、雑然とした小部屋に案内された。やがて鋭い目つきをした五十代半ばくらいの人が現れ「Oです」と名乗った。

この方こそが、その日から十三年間、私のボスとなる、強烈な個性の持ち主、O学院長(後の理事長)その人だったのだ。

 面接はあっけないもので、わたしの履歴や経歴をご覧になり「これほどの方に来ていただけるとはありがたい。契約には常勤の内部講師と臨時の外来講師がありますが、どちらを希望しますか」と尋ねてきた。

「内部でお願いしたいと思っております」

「で、お給料は‥‥おい○○さん、アニメーター科講師のギャラの資料持って来てくれ。どれどれ、うーん‥‥手取りで◯◯万ということでどうですか。」

それは私が希望していた数字を上回っていた。

「充分です。ありがとうございます」

「で、いつから来られますか」

「まだ手持ちの仕事がありますので二週間ほどあとでよろしいでしょうか」

このようなやりとりがあって、私の第二の人生が、あっと言う間に決まった。

 さっそくスタジオカーペンターの社長と東映動画の制作担当の方に報告をした。急な話なので申し訳なかったのだが、カーペンターの山口社長は「小幡君には合っているかもしれないねえ。頑張って下さい」と激励してくれた。東映動画の制作担当のHさんは私の窮状を知っていたこともあり、気持ちよく了承してくれた。
(右写真の白服はおばた、黄色は山口社長)

 その後の二週間、私は現役時代最後の仕事となる『美少女戦士セーラームーンR』の原画をていねいに描きあげ、お世話になった方々に挨拶をして回り、会社の席を整理して、十四年間のアニメーター生活に終止符を打った。

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