アニメな半生記 → 講師奮闘編

10・バンタン電影アニメマンガ学院へ

校では、韓国の他にも海外研修旅行の引率として一週間、アメリカのラスベガス(右写真)とロサンゼルスに行ったり、高校での実習ガイダンスを行うため、二泊三日で沖縄に行き、ついでに美ら海水族館(下写真)を見学するなど、たくさんの想い出を作らせていただいた。

しかし校での私の立場は講師ではなく、講師のマネジメント及び、担任業務をする教務というものだった。しかも担当する学科はアニメではなく、マンガとイラストだったのだ。仕事では、多くのマンガ編集部と関わったり、銀座や青山のギャラリーを借りて学生作品のイラスト展を開催するなど、数々の貴重な経験を積ませてもらったが、その一方で「やっぱり自分はアニメが好きなんだ」という深層の思いがムクムクと表層に現れてくるのを抑えることに困難を感じ始めてもいた

アニメから離れた自分の中に感じ始めた違和感と空虚感がかなり大きなものになってきた時、あるアニメの学校から「うちに来てくれませんか」という声を掛けられた。それは、良く言えばヘッドハンティングと言っても良い内容だった。「制作現場と教育現場での経験が豊かな小幡さんに本校のアニメ学部を取りまとめてもらいたい」というオファーだったのだ。

四十代も大詰めを迎えている自分にとっては、まさに最後のチャンスだと思い、私はその申し出を受け、二年間お世話になったT校に別れを告げた。

その学校というのは、目黒区中目黒にある「バンタン電影アニメマンガ学院」である。一九六五年にファッションデザインの教育から始まったバンタンだが、そのグループの中では最も新しい開校三年目の学校だった。

私は二〇〇八年三月の半ばからバンタン電影アニメマンガ学院に通い始めた。精力的にカリキュラムをとりまとめ、教材を作り、授業を行うとともに、週末は体験入学や地方での公開講座、添削会へと飛び回っている。仕事がアニメであれば疲れることはない。

アニメの講師陣の中には「アニメ作画のしくみ(ワークスコーポレーション刊)」など数多くの指南書を著している尾澤直志氏もおり心強い限りだ。また不思議なことにY校時代の講師仲間が内勤の講師に三名、外来の講師に四名いる。「類は友を呼ぶ」と言うが、みんな心根のきれいな実力のある素晴らしい人たちばかりである。

バンタン電影アニメマンガ学院は、校名にあるアニメとマンガだけでなく、ノベルズとイラストの専攻もある。各専攻に一年コースと二年コースがある他、一年目はアニメ、マンガ、イラストの基礎を勉強して、二年目にはその中のどれかを専攻していく総合本科という選択肢もある。進路を決めかねていても先ずは入学して全てを勉強しながら自分の適性を見極めていけるし、結果的には幅広いスキルを身につけていけるのだ。

バンタン電影アニメマンガ学院は後進の学校だけに、今までの学校とは違う新時代の学校を築いていこうとの意欲がスタッフの中に満ち溢れている。学生は高卒ですぐに入学してくる子よりも二十歳以上の子の方が多い。新聞配達など、大変なアルバイトをしながら通学する苦学生が数多くいる。片親だけの学生も意外とたくさんいる。縁があって入学してきてくれたこのような学生たちを希望する職場に、一人の落ちこぼれも出さずに送り出していくことが私に与えられた役目だった。

私にとって三つ目の学校、そして最後の学校になるであろうと思われたバンタン電影アニメマンガ学院だったが、わずか2年で去ることになるのであった。