これは「BASARA」だったかな。このページにある全ての年賀状はコスプレではなく、コンピュータによる合成なのですが、親戚のおばさんとかは、なかなかわかってくれません。
ちなみに、この第2弾を出してしまったことで後戻りができなくなってしまいました。
フォトワールド
2011年
2008年
我が家の年賀状展
2012年
2004年
2005年
2015年
マイムーブとも言える大好きなゆるキャラ「ひこにゃん」をネタにデザインしました。
最近とくに、「成長は安定の対極にある」ということや「感謝する気持ちの大切さ」を学ばせていただいているので、その辺がダイレクトに出た年賀状になってしまいました。
被っている兜には「いざ、出陣!」との決意も込めています。今年は腹を決めて飛ぼうと思っているので…。
2007年
2006年
これがフォトショップによる合成年賀状の第一弾でした。
宝塚の「あさきゆめみし」という光源氏ものがモチーフです。
2001年には「千と千尋の神隠し」が公開されたので左下にはカオナシがいます。
当時飼っていたリスのチャッピーも妻の頭の上にいますねぇ。
チャッピーという名前は「宇宙少年ソラン」に登場する宇宙リスからとった名前ですが,いつもピッチャンと呼んでいました。

何年か前から「おばたさんちの年賀状を見ないと年が明けないわ…」というお世辞を言われるようになりました。

そんなお世辞を真に受けて、恥ずかしげもなく、2002年からの年賀状を一挙公開することにしました。
どうぞ、あきれかえって下さい。

BACK
宝塚の「傭兵ピエール」がモチーフです。気高き聖女と言われたジャンヌダルクが傭兵のピエールと恋をしたという大胆な発想で作られたロマンチックな舞台劇です。
家族4人とも結構決まっているでしょ?
2003年
2013年
2002年
ヨン様主演の韓国の人気ドラマ「太王四神記」ネタでいきました。
一見ギャグに見えるかもしれませんが、主人公のセリフは極めて大事な内容だと思っています。
前年に立ち上げたこのホームページの宣伝もしているので、閲覧者が増えてくれると嬉しいかな。
ちなみに「BBクリーム」というのは韓国の定番スキンクリームです。
妻の顔のカゲはブラシ機能でつけたのですが、ちょっと不気味になってしまいました。
私の眉を濃くしてしまったのはちょっと失敗かも‥。
2009年

以上(更新は来年の正月)

デザインがなかなか決まらなかったのですが、年末に観に行った「宇宙戦艦ヤマト2199星巡る方舟」の影響で決めてしまいました。アニメと実写の合成は初めてだったのですが違和感があって当たり前なのでこんなものかなと思っています。

コスプレシリーズの復活です。
と言ってもデジタルでの合成だということを念のため申し添えておきます。
年のせいかフォトショップでの修正率が高まったことが悲しいです。
今回のモチーフは宝塚の「BASARA:真田幸村編」です。
年末にふなっしーがマイブームになったので3体も登場させてしまいました。
2014年
二年間、コスプレから離れました。もうばかなことをやる歳ではないという気持ちもありますが、今後のことはわかりません。
今回は4コママンガ編として近況をお伝えしました。
なんと言っても孫が出来たという一大事は特筆すべきことで、同じ経験を持っている人には共感していただけることなのですが、未経験の人にはどうでもいいことなのかもしれませんね。
今年は、おふざけを廃して比較的まじめな物になってしまいました。
新聞形式で家族の重大ニュースを掲載しました。
前年は、世間的には東北の大地震という未曾有の大災害があった年で、個人的にも激動の一年でした。
こういう時こそ学びの時であり、一つ上のステージに上がっていかなければいけないと思うのです。
公開中の映画「スペースバトルシップヤマト」をモチーフにしました。キムタクのかっこよさに対比するとギャグになってしまう自分が情けなく思いつつも、ヤマトのユニフォームが着れて嬉しかったりもします。
本来ならば、隣の妻は、ヒロインである森雪になるべきところですが、それを演じた黒木メイサを土台にするのは荷が重過ぎるのと、おでこがでるのは嫌だと言う本人の希望を踏まえて佐渡先生(原作では男ですがこの映画では高島礼子が演ずる女性)にしました。
昨年はサラリーマン講師にピリオドを打ち、現場復帰するとともに、ampsという学校を立ち上げると言う人生の大きな転機を迎えました。
まだまだ産みの苦しみの最中ですが、今年は大いに飛躍していきたいとの思いを波動砲に託したのです。
 2010年
なんと結婚25周年! まさに「喜びも哀しみも幾歳月」といった感じですが、あっという間にも思えるのが不思議です。
そんな四半世紀に及ぶ夫婦愛を宝塚の「ファントム」をモチーフに表現してみました。
この年の3月には、是非にと請われて、バンタン電影アニメマンガ学院に入職しました。
これらの年賀状は、我が家の歴史そのものです。
年賀状の合成シリーズは続けていきたいのですが、毎年「今回で最後にして!」という妻がいつまで協力してくれるかによります。
我が家の重大ニュースを週刊誌の中吊り広告風にまとめあげてみました。
前年の3月に東京コミュニケーションアート専門学校に入職したことがトップ記事になっています。
右下に「国会も大変」とあるのは、私が当時の首相である安倍さんに似ていることから出たギャグなので分かる人にしか分かりません。
私はこの学校に骨を埋めようと思っていましたが、どうしても自分の居場所だという実感が持てずにいたところに他からの誘いがあり、2008年3月に退職。激動の2年間でした。
長男がデザイン会社に就職したことを報告していますが、その後辞めてしまって、今はアルバイトをしながら次の道を模索しています。次男は今、大学4年生で就活中。
「Always三丁目の夕日」の映画を観にいき感動した直後だったので年賀状のモチーフにしました。当時は色々と辛い時期で、この年の3月には13年間勤めた代々木アニメーション学院を断腸の思いで退職しました。
学校への未練はありませんでしたが、学生達との別れが辛かったです。
「冬のソナタ」はレンタルビデオ、NHK1回目の放送、NHK2回目の放送と、全部で3回も見ています。
感動的な最終回には毎回涙しました。
モチーフになるべくしてなったドラマでしょう。
ほほえみの貴公子、ヨン様になりきっている私ですが、貴公子に貴講師をかけています。