グループジョイに入社した翌一九七八年もまた、私にとっては記念すべき年になった。当時、アニメの専門誌としては『ファントーシュ』や『フィルム1/24』といったマニア向けのものや、『アニメレポート』といった業界人向けのものだけしかなく、一般のアニメファン向けのものはなかった。一九七八年、まさにその要望に応え、徳間書店から本格的なメジャー誌『アニメージュ』が創刊されたのである。黒バックに、銀色の宇宙戦艦ヤマトが描かれた重厚な表紙の創刊号は今でも私の宝物の一つとして大切に保管している。その後、いくつものアニメ誌が誕生しては消えていくのをしり目に、『アニメージュ』は今でも老舗誌としての貫禄を保ちつつ、内容の濃い編集方針を貫いている。 まさに、この『アニメージュ』創刊号が私に運命的な情報を与えてくれたのである。

 それは同誌に掲載された一つの募集広告だった。東映動画がフルアニメを作れるアニメーターを養成するために「アニメーター養成講座」を開講すると言うのだ。

「これだ!」と、私は思わず膝を叩いた。募集定員は(実際は告知とは違い)昼の部二十五人、夜の部二十五人、合計五十人という限られたものだった。しかも、一次審査として描いた絵を送り、それが通れば実技試験と面接があるという厳しい選考方法が取られていたのだ。専門的に絵を学んだこともない自分などは到底、通るとは思えなかったが、やるだけやってみようと思い、さっそく応募作品の作成に取りかかった。若い男女が希望の星を指差して立っている単純な絵だったが、アニメーターになりたいという私の思いを込めて一生懸命に描き上げた。 さっそく送ったところ、なんと一次審査は無事に通過し、実技試験及び面接の案内が届いたのだ。

 会場は池袋の豊島公会堂。当日は「よーし、頑張るぞ!」と勢い勇んでアパートを出たものの、会場に入ってびっくり。なんと三、四百人は入るかと思われる大会場を埋め尽くさんばかりの受験者がひしめき合っていたのだ。しかも、スケッチブックやクロッキー帳を抱えた、いかにも専門的に絵の勉強をしているよ、といった人たちばかりだ。もうダメかもと思いつつ、ダメもとで頑張ろう、と思うしかなかった。

出題は全部で5問だった。

第一問は、チューリップの鉢植えが棚から落ちて割れるまでを6ポーズで描きあげるというもの。

第二問は、悲しい状況にある人がどうしても笑わずにいられないことが起こったことを想定して、その変化を5ポーズにまとめるというもの。

第三問は、裸の男が走っている斜めポーズと裸の女の人が立っている横ポーズを描くというもの。

第四問は、飛んでいる鳥、もしくは走っている兎が鉄砲に撃たれた瞬間を描くのと、犬が水からずぶ濡れで上がってきたところを描くというもの。

第五問は、模写問題で『キャンディキャンディ』『一休さん』『キャプテンハ−ロック』(各2ポーズ)の中からそれぞれ1ポーズずつ模写するというものだった。

一~三問までを一時間半、十分の休憩をはさみ四、五問に一時間が与えられたが、ギリギリで全てを描き上げることが出来た。とにかくやるだけのことはやった。

 そして昼食をはさんで次は講師との面接が待っていた。お昼は外に食べに行ったが、何を食べたのかは全く覚えていない。カレーだったような気もするのだがそれだけ「心ここにあらず」だったのだろう。

私は、昼間はグループジョイに勤務していたので、受験したのは夜の部の方だった。その夜の部の講師はなんと、心の師と仰いでいた月岡貞夫氏だったのである。

月岡氏は私や津田がバイブルとしていた『アニメーション』という本の著者であり、マニアの間では知る人ぞ知る、東映動画出身の天才アニメーターだったのだ。当時はすでに、アニメーション作家としてCMやNHKの『みんなの歌』で活躍していた。

面接で月岡氏との間にどのような会話があったのかは、ほとんど記憶にないが、ただ一つだけはっきり記憶している月岡氏のセリフがある。私が勤めていたグループジョイや社長のAさんのことをよくご存知で、「へぇ、Aちゃんとこの子かぁ」と言われたのだ。何か親しみを感じてもらえたようで嬉しかったのを覚えている。

 何日かして、東映動画から私の三畳間に一通の封筒が届いた。恐る恐る封を切り、中身を取り出した。顔を半分そむけながら薄目で文面を覗き見ると、そこにはなんと合格を知らせる内容が書かれていた。何度も何度も読み直した。自分が合格し、アニメーター養成講座に通えるんだ、ということが間違いないと分かったとき、猛烈に嬉しさが込み上げてきた。「やった! やったんだ! ばんざーい!」、心の中で叫びながら狭い3畳間の中を飛び跳ねた。

この時、私の妻、ゆみ子もまた、福岡の地で同じ合格通知を受け取っていた。彼女は一次審査のために猫の絵を描いて送ったものの、実は落ちてしまっていたのだ。ところが「動きがないのが残念」というコメントだけを頼りに、ずしくも再度、動きのある絵を送り直し、その強引さで一次通過を勝ち取り、更には最終的な合格まで勝ち取ってしまったのである。ただし彼女は昼の部だったので、私たちの出会いはもうしばらく先のことになる。

次へ

 

アニメな半生記 → アニメーターを目指して編

7・アニメーター養成講座にチャレンジ